青嵐

読んだ本と、ふとした毎日のメモ

漫画「本なら売るほど①~③」 を読む

 

本なら売るほど①~③ 児島青 KADOKAWA 2025/1/15 2025/4/15 2026/4/15

マンガ大賞2026、手塚治虫賞など今年数々の賞を取ったが、出た時から次の出版を予約して楽しみに待って読んできた。脱サラをして古書店を開いた青年が、様々な客と古書を通じて出会う話。絵もすっとその世界に入る雰囲気を持っているし、主人公の青年と客の会話のテンポや表情が絶妙で、登場人物の世界がじわっと開いていくのが良い。

 私も地方の碁会所を訪れた時、スナックで隣り合わせた時、酔って電車で友だちと議論をしていて席で隣り合わせた時、相手の方とこのようにじわっと相手の方の世界を見せていただいたことが何回かあるなあと思いだす。

読書「ブロッコリーパンチ」(イ・ユリ著 山口さやか訳 リトルモア 2025年刊)を読む

 死んだら遺骨を鉢に埋めてくれと言う父親の言う通りにしてみたら、その鉢に植えた痩せ細った木がぐんぐん成長し、その木から父の声が聞こえてきたり、海に落ち死んだはずの主人公が「汎(はん)宇宙生物研究協会」に所属する宇宙人に生き返らせてもらったり。
 ある朝突然、彼氏の右手がブロッコリーになったり、死んだ恋人が彼の切った爪に憑依して幽霊になって現れたりと、イ・ユリの作品は突飛な現象が起きるが、それが自分の心の声を聴くように響いてきて、違和感なく読めるだけでなく、こういうことあっても不思議でないような気持にさせる。


 中でも印象に残ったのは、死んだ彼が幽霊となって現れる話だ。

 死んだ彼が幽霊になって彼女の前に現れた時には、彼女はすでに結婚していて、夫は亡くなった妻の恋人が現れたのを見てとまどい、帰ってもらえませんかと幽霊に頼むが、幽霊も彼女が結婚したことを知り帰ろうと思ったが帰る方法がわからないと言う。夫はどうして良いかわからず、とりあえず二人を置いて出社する。

 その間に、幽霊になった彼と彼女は一緒に食事をしながら、お互いのことを話す。彼女は彼の質問に答えて、彼が死んだ直後はずっと泣き続けたこと、彼が乗って交通事故死したバスでなく飛行機にすればよかったなどと色々と後悔したこと、泣いて泣いて涙腺に炎症が起きて病院へ行ったこと、死んだ彼が夢にも出てきたこと、会いたくて会いたくて死んだ彼を恨んだこと、それでも今の夫と友達の紹介で会って結婚したこと、死んだ彼にも行きたいと言っていたことは忘れて新婚旅行にモルディブに行ったこと(その間楽しくて彼のことは一切忘れていた。そして今は、昔は全て知っていた亡くなった彼の色々なことを忘れていること→彼には言わない)・・・・・などを話す。死んだ彼は、恨むことなく、彼女が生きていてよかったと答える。

 会社から戻った夫の提案で、死んだ彼の交通事故の現場へ行くことになる。そこで彼の姿は消え、古くなって黄色く変色した爪だけが残った。帰りの車の中で彼女はこの事故現場へ当時死ぬために行ったことを思い出しつつ、おしりと腰のあたりから何かがすーとぬけていくのを感じる。

 これは、割り切れない未消化な彼の死について、彼と彼女が再会し、お互いの気持ちを話して、話して、消化し腑に落ちる話だと思った。モーニングワーク(喪の作業)を行った話だろう。死んだ彼を恨み、悲しみ、一方で新たな幸せを手にし今を生きている彼女と、残した彼女に心が残りあの世へ行けなかった彼の喪の作業が行われた話だと思った。ストーリーはフィクションでも人の心の描写はすごくリアルに伝わってきた。

ブロッコリーパンチ イ・ユリ著 山口さやか訳 リトルモア 2025年刊

 

映画「ハムネット」を観る

クロエ・ジャオ監督でスティーブン・スピルバーグとサム・メンデスが制作に関与。第98回アカデミー賞に作品賞ほか8部門にノミネートされ、ジェシー・バックリーンが主演女優賞を受賞したとのことで、妻と連休中に横浜へ観に行く。映画館ロビーは、人があふれていたが、この映画自体は一日一本の上映で、入室すると観客は十人いるかいない貸し切り状態でびっくり。

手に職を持たないシェークスピアは子どもたちにラテン語を教える程度で、父親に稼ぎがないことを罵倒されながら両親のもとに居候生活をしていた。一方アグネスも薬草や不思議な力を持つ母親を子ども時代に失い、継母に冷たい仕打ちを受けながら森の中で大きな木のほらに体を包まれ、鷲と関りを持つことで心を癒す生活をしていた。

 アグネスはシェークスピアに自分の世界を理解してくれるまなざしを感じ、シェークスピアも現実の彼方の世界を持つ彼女に惹かれ、お互いに愛し合い、周囲の反対を押し切って結婚する(アグネスは周囲から魔女と噂されていた)。

 シェークスピアは父親の皮手袋の制作を手伝いながら暮らしていたが、そのスキルについて無能と父親にののしられ、鬱屈した今の暮らしに耐えられず、ロンドンに1人出て、創作の世界で名が売れるようになる。ロンドンとアグネスの待つ村の間をシェークスピアは往復し、二女一男をもうけるが、シェークスピアがロンドンにいて不在の間に愛していた息子ハムネットがペストで亡くなってしまう。

 アグネスは嘆き悲しみ、駆け付けた時には間に合わなかったシェークスピアの不在を許せず、シェークスピアを拒絶し、二人の関係が断たれてしまう。

 シェークスピアは息子の失った想いを、ハムレットという劇に仕上げ、アグネスのいる村で演じる。そこでは、王である父親が弟に殺され亡霊となって現れるが、アグネスは父親の息子への想いを、死で自分を贖いながら語っていると感じる。息子であるハムレットも、有名な「to be or not to be]という言葉を吐き、現実の世界と向こうの世界についての想いを語る。それを観ていたアグネスの表情に、息子の死や父親の想いが意味を持つ物語として笑顔が広がっていくというストーリー。シェークスピア自身にも意味のある物語が必要であったのだろうし、夫婦の間で息子の死を意味づける共有できる物語が必要であったのだろう。

 感想は、森の描写、16世紀の生活、シェークスピアやアグネスを演じる俳優の演技は迫力があったが、映画の物語はシンプルで結末は都合がよすぎるなあと感じるものでした。

読書 「イン・ザ・メガチャーチ」(朝井リョウ作 日本経済新聞出版 2025年刊)

今年の本屋大賞を獲得した朝井リョウ作「イン・ザ・メガチャーチ」を読む。

推し活を仕掛ける側、それに救いを求める側から、物語とファンダム経済の視点から描く。ファンダム経済とは、推しを愛するファン同士がコミュニティを形成し、その推しをを応援するためにグッズ購入・イベント・デジタルコンテンツなど、多様な消費を生み出し、一つの経済圏として機能する現象・仕組みのことらしい。昔のアイドルのように多数に広く愛されるというより、教会信徒の熱烈な信仰活動のように、推しを自分の生活の核とする熱烈な一定数のファンに推しの活動が支えられていることをこの小説で知る。仕掛ける側は、ファンが推しと共有体験を持っていると信じさせる物語を創り、そういう物語をファンも求めている。お互いに孤独で、父と娘としても物語を共有できなない父子が、推し活動を仕掛ける側とのめりこむ側からその世界に没入するストーリー構成と表現はさすが。朝井は、各登場人物を描くときに、その登場人物になりきるより、その登場人物をもう一人の観察者が見ているように描く。彼の作品は、私は「性欲」が初めてだが、あの作品も最後にある点にストーリーが集約されていく構成を行っている。彼の小説は二作しか知らないが、今の社会事象をきれいに腑分けしていくような学者的な視点がある。また、情緒的に浸る作品というより、ストーリーや構成の面白さで引き付ける。

長兄訪問記③

 3月29日14時過ぎに予定通り無事福岡空港着。到着ロビーから出口までは結構あるが、90歳の兄は杖をつきながら歩く。83歳の兄の方が杖はつかないが最近歩くとふらふらすると言う。兄の手をつないでエスコートする妻も背中が丸くなっている。90歳の兄は膝の手術をして正座はできなくなるがゆっくり歩く分には支障なさそう。ただ植木剪定の仕事中に木が落ちて頭をぶつけ、それからしばらくしてよくころぶのでおかしいと思い検査してもらったら脳内出血から脳圧が高まっていて先月緊急手術したとのこと。最初に診てもらった医者は行くたびに様子をみましょうしか言わず、病院を変えたら緊急入院・手術ということになり、命拾いしたと言う。聞いている方が冷や汗が出た。

 空港からレンタカーを借りて、その日は博多駅近くのホテルへ。この時期ホテルはどこも満杯で、やっと駅前でなおかつ大浴場のあるホテルが何回かのネット検索で二部屋空いていることを見つけ喜んで予約したが、部屋に入ってみたら両部屋ともダブルベッドだった!それも一流ホテルのシングルサイズを少し広くした程度のサイズであった。兄たちはけろっとして、「いい、いい。」とこだわることもなく、翌朝朝食に迎えに行くと「よく寝れた。」と二人とも言うのでびっくりする。私の方は、妻と一緒だったが、最近は寝る時間も違うし手を触れることもないので、先に寝て寝息を立てている妻のいるベッドに恐る恐るもぐりこんだが、体も心も緊張して寝れず、明日から私一人が車を運転するので、寝なければと思えば思うほど目がさえて眠れなくなった。ベッドから出て椅子に座って足だけベッドに乗せて目を閉じてみたり、色々寝れるように工夫をしてみたが、明け方まで寝れなかった。

 私達の部屋と兄達との部屋は、隣同士ではなく、間に他の客の部屋が挟まっているが、昨日何回も部屋同士行き来したのに、朝食時間の確認に兄達は隣の部屋を何回もドンドンたたき、反応がないので、朝の散歩に私たち夫婦が出ていたのかと思ったと言う。隣の客が在室していたら、大迷惑だった。

長兄訪問記②

飛行機が飛び立つ前に、私達夫婦はなんとか山形の妻の二人に会えた。空港ロビーにある軽食の取れる店で朝食を食べる。その間90歳の兄は、私も何回も聞いた中学校卒業後家計を支えるために実家のある山形から東京、神奈川に出て、色々な店で仕事をした当時のエピソードをしゃべり続ける。83歳の兄はこの同じ話を、山形から羽田へ来る道中ずっと聞かされ続けてきたとのこと。ただ、83歳の兄は、「何度聞いても、話が落語のように面白いのであきない。」とケロッとしている。妻は、「83歳の兄はボケてきてすぐ忘れるからだし、90歳の兄は違ったタイプの認知症が進んできた。」と二人の兄に手厳しい。90歳の兄は、その当時の仕事で身につけた精肉の知識を生かし、後に山形で生まれ今全国に展開しているスーパーの会社に後に誘われて入社し、出世し、株やアパート経営などで財をなし、なおかつ植木屋として今も働いているスーパー老人だ。

ショートストーリー

田中さんの教室

四月の月曜日、第二時限目の算数の授業が始まって五分ほど経った頃、教室の後ろの引き戸ががらりと開いた。

担任の山田先生が振り返ると、見知らぬおじいさんが、まるでいつもこの教室に通っているかのように、にこにこしながら入ってきた。色のあせた茶色のジャケット、片方だけ裏返しに履いた靴下、そして手には、しおれかけた菜の花を一輪。

「すみません、ちょっと遅れました」

そう言うと、おじいさんは一番後ろの空いている席にすとんと腰を下ろし、机の上で手をきちんと組んだ。

教室は水を打ったように静かになった——いや、正確には、二秒間だけ静かになった。次の瞬間、三十二人の三年生は、地球が割れたような騒ぎ方を始めた。

「先生!知らないおじいちゃんがいる!」 「え、転校生?」 「こんなに年取っているのに!?」 「やばい、めっちゃ笑顔!」

山田先生は冷静を装いながら、内心ではすでに警察と職員室の電話番号を交互に思い浮かべていた。

おじいさんは——後で分かったことだが、田中清一さん、88歳、近所のグループホームから散歩中にふらりと抜け出してしまったらしい——にこにこと黒板を眺めて、「ふむ、今日は二の段ですか」と呟いた。

実際は、三桁の引き算だった。

 

山田先生の電話を受け事務員が警察に連絡したところ、グループホームから疾走届が出ていることから、田中さんであることがわかり、家族が迎えに来ることになった。山田先生は迷ったが、田中さんは「私は算数が得意なんだよ。」ととても楽しそうなので、家族の方が迎えに来るまで教室で子ども達と一緒に過ごしてもらうことにした。。

そこから始まる2時間余りの時間は、後に「3年2組の歴史的事件」と呼ばれることになる。

算数の時間、田中さんはずっと指を折って、「37引く18は……37引く18は……」と困ったような顔で繰り返していた。隣の席のサトシくんが、しびれを切らして、「おじいちゃん、十九だよ」と小さな声で教えると、田中さんは目を丸くして、「賢い!君は将来、大臣になるな!」と叫んだ。サトシ君は算数が一番苦手な子だった。その日、初めて算数で褒められたサトシ君は、夕食のとき三回もそのことを家族に話した。

国語の時間、教科書の音読をしていたミナちゃんが「おじいさんは山へしばかりに……」と読み始めると、田中さんは突然立ち上がって、「私の祖父も、毎朝山に行きました!」と力強く宣言した。それから、戦争の話と、川で鮎を釣った話と、初恋の人の名前(ハナさん、らしい)が、三分の間に区別なく語られた。子どもたちはぽかんとしたが、なぜか、誰一人笑わなかった。

給食の時間、田中さんはカレーを「これは……ハイカラですなあ」と感激しながら食べ、ユウキ君のプリンに手を伸ばし、ぺろりと食べてしまった。ユウキ君は一瞬泣きそうになったが、田中さんがあまりに幸せそうに「あまい、あまい」と呟くので、「……まあ、いいや」と言って、そっと自分のみかんも差し出した。それを見たクラスメイトの何人かはそっとプリンやみかんを、田中さんに差し出した。

田中さんは、両手を合わせて、しみじみと言った。

「いやあ、戦後はじめてのご馳走です」

教室はまた、しんとなった。

 

事件は、掃除の時間に起きた。

田中さんが姿を消したのだ。

クラス全員で校内を捜した。サトシ君は「絶対、職員室に算数の問題聞きに行ったんだ!」と主張し、ミナちゃんは「いやハナさんを探しに行ったんじゃない?」と泣きそうになっていた。普段はおとなしいタクヤ君は、廊下を全力疾走して用務員さんにぶつかった。

田中さんが見つかったのは、体育館裏の桜の木の下だった。さっき持っていたしおれた菜の花を、しゃがみこんで、丁寧に土に埋めていた。

「ここなら、よく育つ」

山田先生が静かにしゃがんで、「田中さん、ここで何を植えてらっしゃるんですか」と尋ねると、田中さんはふっと顔を上げて、しばらく先生をじっと見つめてから、こう言った。

「……すみません。私、なぜここにいるんでしょうね」

それは、その日初めての、田中さんの「素」の声だった。

ちょっと困ったように、ちょっと申し訳なさそうに、でも、どこか恥ずかしそうな笑顔。

サトシ君が、田中さんの隣にすとんと座った。それから、ミナちゃんが、ユウキ君が、タクヤ君が、クラス全員が、ぐるりと田中さんを取り囲むように、桜の木の下に座った。

誰も、何も言わなかった。

ただ、春の風が、菜の花を埋めた小さな土を、優しく撫でていた。

サトシ君が、ぽつりと言った。

「おじいちゃん、ここにいていいよ」

 

ご家族が迎えに来たとき、田中さんは「では、また来ます」と上機嫌で帰っていった。「すみません、もう来ないと思います」と娘さんは小声で先生に謝ったが、子どもたちは、本気で「またね!」と手を振っていた。

その翌週から、3年2組では、月に一度、グループホームを訪問する活動が始まった。きっかけは、サトシ君が書いた一通の手紙だった。

田中さんへ。37引く18は、19でした。 今度は、もっとむずかしい問題、ようい(用意)して、まっているのできてください。 3年2組 サトシ

田中さんは、手紙を読んだ日も、その翌日も、手紙の内容を覚えていなかった。

けれど、子どもたちが訪ねてくると、いつも、いつも、同じ笑顔で同じことを言った。

「あら、君たち。遅れましたか?」

子どもたちは、声をそろえて答える。

「ううん。今日は、ぴったりだよ」

 

そして、体育館裏の桜の木の下では、次の春——

しおれかけた一輪の菜の花が埋められたあの場所に、誰が育てたとも知れぬ、小さな黄色い花が、静かに、確かに、咲いた。

子どもたちはそれを「タナカさん」と呼んだ。

田中さんは、もちろん、そのことを知らない。

知らないままで、いいのだと、子どもたちは思っている。